渋谷系の功罪と中村一義

どうも、コジョリンです。
コジョリンとかいうのもあれなんで、
本名でいうと、古城です。
今回は、僕の友達の佐藤君が書いた、
これはなんというのか、まぁ、
タイトルどおりの小論を転記させていただきます。

―――――以下、転記分―――――

やぁ、僕だよ、ピース。
今でもダブルKOに足を向けて寝ることのできないキミ、今日もセント・ジェームスのカットソーで過ごしたのかい? 今日はちょっとだけ、渋谷系の話につきあってほしいんだ。

渋谷系のもっとも大きな功績は、レコード・コレクターにギターを持たせたことではないかと思う。
彼らが出てくる以前、アマチュアミュージシャンの気質は、今よりもずっとスポーツをやってる人たちに近かった。彼等が住むのは力とテクニックの世界であり、「うまいバンド」「ライブのチケットをさばけるバンド」から順にプロに召し上げられていった。そしてプロのミュージシャンは、力の世界の上層にあるものとして、洋楽に対抗できる音を求めて海外レコーディングの回数を競い、エンジニアリングも含めて「世界水準の音」を追求し続けた。そんな彼等のつくる音楽は、いわゆる「洋楽リスナー」からすると作品としての魅力に乏しく、野心的で好戦的(に映る)なそのあり方は、自分達とは決定的に異質のものと思えただろう。だから、本来はプロミュージシャンのリソースであるべき重度リスナーはいつまでもリスナーのままで、決してプレイヤーには移行しようとしなかった。プレイヤーとリスナーは同じように主に欧米の音楽を愛好しながら、交流することがなかったのである。
もちろん日本にも、60年代の後半から「リスナー体質」のミュージシャンがいる。言わずと知れたはっぴいえんどから連なるティンパン人脈である。彼等は商業的にもかなりの成功をおさめており、時にメインストリームにも顔を出していた。しかし、彼等の洗練されたポップスはあくまで好事家のためのアイテムであり、これから世界に対峙しようとする青少年にとっての「事件」ではなかったはずだ(小西康陽とか、日本で数人にとっては「事件」だったけど)。何よりも彼等自身に、常に「アングラ」に自分の大事なものを保管しておこうという姿勢があったことは否めないだろう。
ミュージシャンはあくまで優秀なプレイヤー、リスナー体質であれば「アングラ」「マニアック」という「水と油」な状況のなか、グレッチのギターをぶら下げてアニエスに身を包んだフリッパーズギターが登場した。
彼等の音楽は今までとまったく違うディメンションで語られた。大切なのはテクニックより引用の巧みさであり、そのバックグラウンドとなるリスナー体験だった。それでも彼等の音楽が、はっぴいえんど・ティンパン人脈のような好事家のアイテムにとどまらなかったのは、小沢健二の切れ味鋭い歌詞によるところ、異論は無いだろう。世界のすべてを拒絶して、「おまえら全員殺してやる」と思いながらオナニーばっかりしている17才にとっても、フリッパーズの音楽が十分以上に「事件」だったことについては、いずれコジョリンさんが詳しく書いてくれると思う。
ひとつだけフリッパーズについて言っておきたいのは、彼等が計算ずくではないにせよ、主体的な意思で、「この音楽を本当に理解できるのは自分だけだ」というリスナーを大量に生んでいたということ。これは優れた表現者がメインストリームに踏み込むときに必ず用いる手法で、若き日の松本人志もそうだった。ちょっと出過ぎの感もあるけど、今のアンガールズとかもそうでしょ?
で、フリッパーズとそれに続く渋谷系は、演奏テクニックよりも編集テクニック、こなしたライブの回数よりもトリヴィアルな音楽知識を価値として重要視した。この世界では、「力」よりも「センス」がある奴から順番にレコードをリリースできたのである。ここで、ミュージシャンとリスナーが合致する。ジャニスやZESTの常連客が、バンドマンとなるかつてない時代が到来した。
こうして新しい見方で音楽を語り始めた渋谷系だが、構造的に見るとじつは全然新しくもなんともなかったことが次第に明らかになる。「力」ではなく「センス」を重視した価値観は、じつは「センスの差異」で序列化をはかるきわめてマッチョな世界をつくるものだった。「力」や「テクニック」の勝負は、結果がはっきりしているし、「敗者の美学」なんてのもある程度認められる側面がある。しかし「センスの差異」の勝負は、勝ち負けを決めるのに竹を割るようにはいかない。あらゆる策略を駆使した論戦の勝者が生き残る世界であり、ここでは敗者復活なんてものはあり得ない。「センス」の勝負における敗北は決定的な「恥」であり、ほぼ完全に挽回不可能であることは、車谷浩司を見ればよくわかると思う。
つまり音楽好きがやっと自由に表現できるはずだった場所は、いつのまにか力のある奴よりもタチの悪い「イヤな奴」がバッコする「メンバーズオンリー」の世界となったのである。
渋谷系をはじめた張本人と目される人たちが、「俺は渋谷系じゃねぇ」(田島貴男)「渋谷系というのはよくわからない」(小沢健二)という発言をしたのは、こういった「どんどん進む構造の腐敗」に対し「そんなのおれの知ったことか」という意思を表明したかったのではないかと思う。
そこでやっと、中村一義
中村は、ほぼ渋谷系の形骸化も決定的になった97年、あいかわらず「どんぐりの背くらべ@センス」を行っていたメンバーズオンリーの渋谷村に、「どうだっていいや、カッコとかそんなのは」と高らかに歌いながらどかどかと乗り込んできた。彼の音はジャジー(笑)でもクラブ仕様(更に笑)でもなかったし、もっと言うと、見方によっては尾崎豊の親戚ともいえる感触をもっていた。しかし、中村の音楽は気の遠くなるような膨大なリスナー体験と、トリヴィアルな音楽知識を滋養としている点で、完全に渋谷系と同じ出自をもつものだ。
彼はフリッパーズギター以来初めて、「おれはあんたらと素質が違うぜ」とか「仲間内ではダントツ」と思っている世間知らずの若者たちに、「音楽を聴くだけで涙が出てくる」体験をもたらした。
これはちょっと、すごいことだと思う。
中村の音楽の「感動の構造」は、きわめてまっとうなものだ。「僕には世界がこう見える」という手垢のついたお題を、サンプリングが禁じ手でもなんでもなくなった時代に、真正面から解いてみせた。彼のあり方はまぶしいほど素直だったし、本当に土手にいるように開放的な、それでいて何かとつながっているような気分にさせてくれた。
僕は今、あまり中村一義を聴かなくなった。
ひとつには、彼がポップな資質を充分にもっていながら、音が雑になっている気がするから。でもそれは単に好みの問題であって、ミュージシャンが全員キリンジである必要もない。
何よりも彼の音楽を聴かなくなったのは、彼が今も「僕は世界をこう見てる」というメッセージしか発してない、そう思うからだ。
もちろん、表現者はどこかに行く必要なんてない。むしろ、ここと決めた場所から動かない人のほうが、僕は好きだ。アメリカやイギリスに武者修行に行くミュージシャンとか、戦争に従軍する小説家というのはどうも信用できないし、その作品もつまらないと思う。
ただ、表現者には常に「物語」を紡いでほしい。中村には、8年前(!)に腰を据えた見晴らしのいい場所から、「いま、ここにいる」を超えた、新しい物語を聞かせてほしいと思う。
だって、才能なら、今でもやっぱりダントツだと思うから。
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くる電、126回に向けて、
妄想(ゲストがつかまらずで延期しています)、チェリー、ウソビを急募しています。
つーか、前期の賞金ですが、編集の方にはすでに伝えてあります。
が、発送のシステムなどが不明でして、お送りするのはまちがいないのですが、
確実な期日を申し上げることができません。
なにから何まで申し訳在りません。。。。。